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「道徳の授業に答えを用意する学校教育はおかしい」 12歳の投書に日本中が共感

netgeek 2017年4月7日
 

12歳の中学生が新聞に投書した「学校の道徳教育に関する意見文」が非常に多くの共感を得て支持されている。

答えがない道徳に学校が答えを用意するのはおかしい。

出典:https://twitter.com/lovelovesarah/status/849907149081673729

道徳という人によって多様性があるものに教育として答えを用意して評価するようになると、個人の考えが尊重されなくなるのではないかと懸念する意見だ。

文部科学省が進める道徳の教科化については未だ不透明なところが多く、不安視する声が少なくない。現時点では「評価は下すが、数値での評価は行わない」とだけ発表されている。

直近では教科書検定にて、郷土愛を教育できるようにとパン屋が和菓子屋に変えさせられたばかり。

前回の記事:【炎上】教科書検定「パン屋は愛国心が感じられないから和菓子屋に変えて」 道徳の教科書に謎の圧力

※文部科学省は「パン屋に特定して指導した事実はない。郷土愛を感じられるようにと抽象的な指導を行っていた」と発表している。

いずれにせよ、このようなつくられた感動話の裏を見抜いてしらける子供は多い。それでも評価されるとなると先生が期待する優等生な答えを考えないといけない。「道徳に答えはない」という12歳の意見は哲学的な境地に達しているように思える。

絵本作家の五味太郎氏は「国語の読書感想文を書かせるのは間違っている」と批判したことがある。

参考:五味太郎「学校教育の感想文は気持ち悪い。間違っている」

いかにも感動的な話を読まされて正解な文章を要求される子供が可哀想だという意見だ。ある生徒は心温まる話を読んだ後に原稿用紙に「別に。」とだけ書いた。五味太郎氏はこの子供の気持ちを尊重してあげたいと語る。

読書感想文を書くのに苦労した人は「大人が求める答えを探るのに苦労していた」と捉えることができる。友達同士の会話なら、すらすらと意見が出てくるのに原稿用紙を目の前にすると何を書いていいのか分からなくなる。それは無意識のうちに学校教育の正解を探っていたからだ。

また偶然にもこの記事を執筆中、ホリエモンも学校の非合理的な道徳観をバッシングしていた。

ホリエモンこと堀江貴文氏は学校の掃除が無駄な習慣だとバッシングする。確かに海外の学校では掃除は専門の業者に任せ、子供たちは勉学に集中するという風土がある。本当は学校が経費を削減したいだけなのに子供に掃除をさせてそれを美徳だとするのはただの洗脳教育ではないか。

授業料を取った挙句、タダ働きまでさせるというのはおかしい。それにもかかわらず学校では、ホリエモンが言うように文句を言うことが許されない道徳的雰囲気が漂っていた。

以前netgeekでは精神論丸出しの非合理的な掃除を記事に取り上げたことがある。

参考: 【炎上】無駄に川に入ってする犬山中学校の伝統行事「机洗い」は精神論丸出しの馬鹿野郎教育

川で机を洗ったり、素手でトイレ掃除をしたりするのはまさしく合理性のない無駄な精神論。教育者が自身の偏った道徳観を押し付けているだけだ。

もしも道徳の教科化で評価がなされるようになったら子供たちの思考はもっと萎縮する。そもそも学校の先生自体が人格者でないことが多いのだから。

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