池上彰のパクリを上杉隆が告発。7年前から抗議し続け、2015年には本でも暴露していた
netgeek 2018年9月12日
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前回の記事:池上彰のパクリ、2015年にイスラム研究者の池内恵(東京大学・准教授)が告発していた
netgeek編集部で確認したところ、確かに2015年に出版した本の序章で池上彰をバッシングしていた。
まだ駆け出しだった頃、上杉隆にとって池上彰はジャーナリスト界の先生だった。しかし徐々に化けの皮が剥がれてきて、ついに2015年に「ジャーナリスト失格だ」と痛烈に批判することになる。
Amazonでは一部内容を立ち読みすることができる。大まかな内容は現在、ネット上で告発されていることと同じ。他人の取材内容を引用元なしで自分の知識のように披露するということだ。
まさか3年も前にこんな衝撃的な暴露がなされていたとは…。
そして今回の池上彰パクリ「#MeToo」運動が起きる中で上杉隆は再び声をあげた。投稿が多いので3つに分けて紹介したい。
(1)池上彰パクリと誤魔化しの始まり。
ツイートするかどうか悩んだのですが、やはり書くことにしました。
ただ炎上や池上さんを陥れることが目的ではありません。日本のジャーナリズムのため、これ以上「犠牲者」を出さないための措置です。
私の場合は、スタッフではなく「本人」です。約7年にわたり数回ご本人にも直接抗議をしています。 https://t.co/pQiNS94gtE— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) September 12, 2018
最初は10年前、拙著『官邸崩壊』の取材内容を聞きたいと連絡をもらいました。その時はラジオ出演だったこともあり、フェアに報じてくれました。ところが、それ以降に問題が発生しました。池上さんは「クレジット」や「ソース」を打たずに、新聞コラムやテレビ番組で拙著内容を使用し始めたのです。
— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
マスコミ関係者からその事実を報された私は「クレジットを打ってくださいよ。池上さんの教えですよ」と本人に直接伝えました。実は、池上さんとはNHK記者職内定時代からの知己です。もっとも私は研修中、池上さんは先生。ご本人も「うろ覚えだった」と後に笑い話にもなったぐらいの上下関係です。
— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
その後も、テレビ番組や雑誌で見る池上さんの仕事では「ノークレジット」「ノーソース」が続いていました。2011年、自由報道協会を立ちあげて、池上さんに対して同じような不満を持っているジャーナリストがたくさんいることを知ると、唯一の知己ということで私が代表して抗議することになりました。
— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
「大手メディアのようにハイヤーも使えないフリーランスは暑い日も寒い日も、交通費を節約して、記者クラブに排除されながらも何時間も取材しているんですよ。海外でも命を賭けながら彼ら彼女らはがんばってる。池上さん、一度でいいですから『○○君の取材によると』『○○さんのリポートでは』と(続
— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
クレジットを打ってあげてくださいよ。それでみんな救われるんです。池上さんの一言で救われるんです」
私の訴えに、池上さんはこう返した。
「尺(時間)の関係でそこまではできない」
「わずか2秒ですよ。フリーが何日も、何ヵ月も、場合によっては何年もかけた取材成果のための、たったの2秒です(続— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
お願いしますよ。私のはどうでもいい。日本のジャーナリズムのために『クレジット』と『ソース』をお願いしますよ」
思えばいつも貧乏くじだ。それでも池上さんはわかってくれると信じ、当時、勢いのあった自由報道協会の代表就任までお願いしている。「池上さんがやれば変わる」そんな思いもあった。— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
(2)テレビ出演をやめると宣言したのに出続けている。
少し時計の針を戻して2009年頃のことです。池上さんはテレビ番組の制作の危うさに気づいたのでしょう、「すべてのテレビレギュラーから降りる」と宣言しました。「クレジット」も「ソース」も「オプエド」もない報道に未来はないと感じていた私も、すぐに池上さんに「私も同調します」と伝えました。
— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
政権交代をして記者会見が次々とオープンになりはじめた時期です。私はメディア改革の活動のためにいくつかの番組を自主降板、総務大臣の私的諮問会議のメンバーになるなどして同志と連携を深めていました。当然に池上さんも一緒に歩んでくれるものと思っていました。そうであれば心強い。
— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
しかし現実は違いました。当時ぎりぎり30代、私は甘かったのです。池上さんはその後も普通にテレビ番組に出ていました。さらに、池上さんがメディア改革に非協力的な理由を知ったのです。テレビや雑誌や新聞こそが「ノークレジット」「ノーソース」だったと気づいた時にはあとの祭りでした。
— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
ここで私はメディア批判を展開するつもりはありません。「クレジット」「ソース」は世界の報道において当然のルールです。私はそれをニューヨークタイムズ時代の3年間で嫌というほど学びました。尊敬するNHKの先輩である池上さんがそのルールを破っていることが不思議でならなかった。それだけです。
— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
(3)池上彰との確執。
本題に戻ります。話はまだまだ続きます。再び2011年のことです。あるシンポジウムで池上さんと二人で登壇する機会が訪れました。当初はメディア論がテーマだったのですが、直前に東日本大震災が発生、自然テーマもそこに絞られました。メディア論を語りたかった私としては残念でしたが仕方ありません。
— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
その後、私は「U3W」「ニコニコNOBORDER」などの番組を立ち上げるとともに、公益法人の活動とも並行して、テレビやラジオや雑誌の企画などで、池上さんへの出演やインタビュー依頼を続けました。フェアにオープンな場で語れば、きっと池上さんもわかってくれると考えたのです。
— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
しかし、池上さんは「これから一年ほど一分一秒も隙間がないほど忙しい」「海外取材に出ているためいつ帰国するかわからない」という俄かには信じがたい理由で、番組出演やインタビューを断ってきました。またこの頃(2012年)から池上さんとの連絡は本人ではなくスタッフ経由となっていきました。
— 上杉隆/ UesugiTakashi ?❇感謝オプエド1000回 (@uesugitakashi) 2018年9月12日
※現時点ではここまで。また投稿されたら追加していきたい。
すでに池上彰はパクリ疑惑について「あり得ないことだ」とはっきり否定しており、「もしかしたらスタッフが勝手にやっただけなのかもしれない…」という説も浮上した。
参考:池上彰が疑惑を否定「パクリはあり得ない。先生の意見を紹介することはあります」
だが、水面下では上杉隆が本人に直接抗議しており、改善が全くみられなかったわけで、これは黒確定ということになる。元々ニュースキャスターとして原稿を読むだけだった池上彰は子供向けの解説者を経て、いつの間にか「ジャーナリスト」という中身のないインチキな肩書を名乗るようになっていた。
実際には自身で取材活動をすることは稀で、スタッフがテーマを決めてから有識者の知見を集めていた。そして池上彰は意図的に情報源を隠すことで「何でも知っている池上彰」というピエロを演じ続けたのだ。
だから実際には「タレント」という肩書がふさわしい。
大量に出している書籍もゴーストライターが書いたものなのだろう。まだまだ火種はくすぶっている。
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