小学生の道徳の教科書が炎上。目の前が真っ白になるぐらいビンタするのは家族愛ではなくただの虐待だ
netgeek 2016年10月27日
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※教科書ではなく副読本の可能性もあり
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(1)まず「誰にもお父さんとお母さんがいます」から始まる文章に違和感を覚える。その後にフォローする文章が続いているものの、読み進めると論理が破綻していることが分かる。この点については後述する。
(2)「花瓶を壊したら、親が目の前が真っ白になるぐらい激しく頬を叩きました。大声で叱りました」と問題ある内容。他人なら大問題だが、家族なら問題にならないと書かれている。
Mさんは「これは家族愛や教育ではなくただの暴力を使った虐待だ」と指摘する。確かに花瓶を壊したぐらいで叩くのは問題があるだろう。一昔前ならともかく、現代はいかなる理由があろうとも子供に手をあげることは許されない。
この道徳の教科書が伝えようとしているメッセージは、「家族だからビンタしてもその裏には愛情がある」というもの。言わんとすることは分かるが、小学生が読むと叩かれても我慢するのが正しいと誤解してしまいそうだ。
この教材の指導内容は「家族愛」。
家族の幸せを求めてみんなで家族愛について考えようとある。ここで冒頭の「誰にもお父さんとお母さんがいます」という文章の意味について考えると、実はそこには何の意味もなかったことが分かる。
果たしてこの文章は必要だったのだろうか?例えばお父さんがいない子供が、どこかにお父さんはいると前置きされたうえでお父さんの家族愛について説明されても理解はできないだろう。それゆえ冒頭の文章は必要なかったように思える。
ただ、この教科書が炎上する一方で「そこまで騒ぐ内容ではない」と意見する人がいるのもまた確かだ。
見解に差が生まれる背景にはその人が育ってきた環境が関係していると推察される。
両親から愛情を注がれて育てられた人→信頼している親からのビンタは許容範囲で、教科書に書いてあることが理解できる
両親から愛情を十分に受けなかった人→ビンタはただの恐怖でしかない。それが家族愛だと言われても理解できない
子供に「家族だから」という理由で何でも許容させようとするのは非常に危険だ。
残酷な現実として中には子供を愛していない親もいる。全ての子供が親を信用しているわけではない。親から愛情を受けなかった人にとって、ビンタを愛情の裏返しとして受け入れる心理は絶対に理解できない。それはただの暴力でしかない。
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