堀江貴文が格差社会批判をぶった斬り!「努力した者が報われる世界を否定するのは違う」
netgeek 2015年9月16日
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こちらが2014年1月のホリエモンの投稿だ。フォロワーと大々的な喧騒を巻き起こす様子を見ていこう。
▼まず話はフォロワーの「一部の金持ちが富を握っているのは問題ではないか?」というところから始まり、ホリエモンがそれに反論する。
▼なんでも会社のせいにするな。自己責任だ。
▼ホリエモンは社会に格差があることは努力が認められる証拠だと考えている。
▼成功者は賢く努力したから成功したのだ。力点を見極めないまま頑張っているのはただの無駄。認められない。
どうやら堀江貴文氏に意見をぶつけている人達は「格差=悪」という前提で世の中のことを考えているように思われる。
しかし果たして、格差というものは本当に悪なのだろうか?言い換えれば努力が認められる世界のことでもあるわけだ。
格差のない社会といえば、共産主義が代表的だが、現在、世界には純粋に共産主義といえる国は1つもない。ソ連は崩壊し、中国も今では市場経済を取り入れている。歴史的に見ても、「貧富の差」に注目してそれをなくそうと共産主義を目指した国はことごとく失敗し、皮肉にも国民は貧しく不幸な生活を送ることになった。
ここで一つ貧困対策について興味深いデータを紹介したい。
作家の竹田恒泰さんは「月刊正論」の2015年4月号で次のように語っている。
ピケティ教授の公表しているデータベースによると、日本の所得上位0・01パーセントの所得の平均は8057万円であり、その所得の総額ですら1兆円に満たない。最高税率を40パーセントから70パーセントに上げたところで、数千億円税収が増えるだけである。ところが、日本の生活保護費は3兆円を突破しているのであるから、数千億円程度の税収増は、貧困対策費としては誤差の範囲とまでは言わずとも「焼け石に水」なのである。
http://ironna.jp/article/1046
実は一部の富豪層からお金を奪って貧困層に振り分けても何ら問題が解決することはない。格差社会を是正しようとするのは、頑張って報われた人達の努力を否定してしまうことになるだけなのだ。
一番正しい方向性は批判の矛先を格差ではなく貧困に当てることであろう。
我々は貧困問題を解決しようとするうちに、いつの間にか議論の焦点が格差社会の是正に向かっているのに気づかなかった。成功者と貧困者の存在は互いに直接の関係はない。国民が互いに足を引っ張り合う社会にしてはいけない。
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