与沢翼と山田るり子が破局→3日後、与沢翼が新しい彼女を見せびらかし
netgeek 2014年1月17日
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現在は株式会社Free Agent Style Holdingsの会長職についている与沢翼。かなり長くて読むのが大変だが、全文紹介しよう。
私事ではございますが、実は1月の初旬、最愛の彼女「山田るり子」とお別れ致しました。
ここまで発表を控えていたのは、双方、多少なりとも周囲へ与える影響力が強く、またお互い心の整理をしていたのが理由です。
心の整理も付き、お互いに話し合い、ここにご報告させていただきます。
思えば、2010年2月7日
角川春樹事務所の取締役のバースデーパーティで出会い、そこから10日後の2月17日には、お付き合いすることとなりました。私が27歳、るり子25歳の時でした。
当時の私の仕事はアパレル。
絶頂期に付き合い、その後に二人でどん底に突入していくことになります。
以来、約3年11ヶ月の間、苦楽をともにし、成功と地獄を二人で見てきました。
私にとって初めての同棲。彼女と一緒に住むという選択。
東京ミッドタウンでお付き合いを始め、六本木ヒルズに引越し同棲を開始、それまでは知らなかった家庭と恋の温かさを知りました。
ご飯を作ってくれ、いつも家で待ってくれている、るりと愛犬。
毎週フェラーリで国内を旅行し、海外にも二人でたくさん一緒に行きました。
バリで過ごしたあの日、コンラッドホテルの真夜中のビーチで語り明かしたあの頃
ハワイで初めて買ってあげたバーキンのローズテリアン
シャングリラの最上級スイートで過ごした彼女の誕生日、二つ目のバーキン
愛犬を連れてミッドタウンの公園を散歩していたフリーエージェントの時代
リッツカールトンレジデンスの居住者パーティでドレスアップした美しい彼女
二人で行なった講演会の数々
共同で出版した彼女の「お金持ちになる彼を見つけて育てました」
六本木を二人で飲み歩き、買収したお店で酔っ払いながらカラオケをしたあの日々
生涯の愛を誓うために贈ったショーメのダイヤリングとショパールの時計
一緒に出演した数々のテレビや雑誌
彼女はたくさんのことを教えてくれました。
美味しいレストラン、海外のこと、女性のあり方、モテる男のあり方、洋服のセンス、お金持ちの常識、一流の男の定義・・・
るり子は、
文化レベルが高く、品位があり、思考、トークともに超一流の女性です。
スタイル・美貌ともに私は、他にいない存在だと思っています。
どこに出しても恥ずかしくなく、そして、私の友人、先輩、お客様、誰と話させても魅了させるカリスマです。
別れの理由は、お互いそれぞれ別の道を歩むためです。
私の目標は、1兆円を数える実業家になること。
るり子の目標は、温かい家庭を築き女性としての幸せを手にすること。
31歳の私、20代最後を迎えている、るり子
2つしか離れていない私達。
ストレスをどれだけ抱えようとも、天涯孤独になろうとも誰の言うことも聞かず、ただひたすらに自己実現を目指す私
温かい家庭をすぐにでも作りたい彼女
年が10ぐらい離れていればどれだけ良かったかと何度思ったことか。
ちょっとした気持ちのすれ違い・・・
ちょっとした男女としての立場の違い・・・
こんなことでも人は別れ、新しい人生に向かいます。
正直言うと、今でも私は彼女が大好きです。
毎日のように夢にも出てきますし、分かれて以来、忘れようとして他の女性といても名前を間違えます。
4年近くいた私の全てを失い、誰にも依存しないはずの私が、気を緩めると圧倒的な恐怖感と孤独感が押し寄せ、精神がおかしくなるときも、ありました。
素晴らしい超一流の彼女の両親
一貫した私への彼女からの愛情
誠実なる忠誠心
倒産を支えてくれた恩人として
苦楽を共にした波乱万丈のこの4年間
今後、私の苦労を知る女性は、おそらく現れません。
私と出会う全ての女性は、ある程度の成功をした私しか知りません。
今後、女性と人生を分かち合い、ともに苦楽をともにすることは、もう私の人生でおそらくないように思います。
心からの絆を結べる相手は、おそらくるり子が最後だったのだと思う。
私にあるのは生涯の孤独、孤独の果てに何があるのかを目指し、ただひたすらに目標に向かう。
今の私にあるのは20年後、30年後の自分がどこまでの存在になっているのかという未来への期待の一心のみ。
私はるり子から愛を教えてもらいました。
31年間で間違いなく一番愛した女性でした。
だから、今私は、愛が持つすごさを知っています。
しかし、それでも、私はまだ、一人でやるべき、やり残していることがあります。
死ぬほど悩んで出した結論です。
大きな愛を失い、思うことはただ一つ。
これぞ我が人生。
天涯孤独なれども、己の使命に生き、己の使命に死ぬ。
私の人生は一個人の幸せではなく、社会全体の幸せを背負っていると勝手ながら思っています。
私は社会の公器になります。
大きなものを失った代償として、別の大きなもの、すなわち目標の成就を取る。
もちろん愛とビジネスの両立もできたと思います。
しかしその両方をバランスよくコントロールできるほど私は、器用ではないのです。
私にあるのは0か1。
人生全ては取れない。これが私の考え方です。
極端ではありますが、これが私の生き方なのです。
スランプに陥った2013年。
迷路のような深海の中から出で立ち、明確に浮き出た自分の使命。
結婚をするのであれば、2012年の春、フリーエージェントの時代であったと今になって思う。
図らずも私だけが第二フェーズに孤独に進んでいた。
長い苦悩から蘇り、ようやく見つけた自分の人生観。
今、迷いは一ミリもありません。
るり子とは、円満に話し合い、今も関係良好です。
お互いに今後ますますの輝きと成功を手にするために、必要があれば双方支援を惜しみません。
特に私は惜しまないつもりです。彼女の再出発を可能な限り支援します。
人は出会いにより成長し、別れにより次のフェーズに行く。
断腸の思いをもって二人で決めたこの別れ。
もし、お互いにやっぱり一番であったのならば、戻る可能性だって0ではないかもしれません。
そのときは秒速で結婚です。
でも、ここできちんと別れることは、必ずお互いの人生の飛躍につながると思っています。
彼女には素敵な彼を作ってもらい、幸せな家庭を一早く築いてもらいたいと思っています。
ただ、彼女の基準は私が尋常じゃなく上げておきました(笑
本物の彼女への愛と忠誠、男としての強さ、高い教養と文化レベル、これらが全て揃う人でないと彼女の目に叶うことはないだろなと思います。
ただ、温かい人はたくさんいるから、俺より素敵な恋人を作って欲しい。
彼女は超絶いい女なので、私より素敵な恋人がすぐにできると思う。
悔しいくらいの。
私もまだ別れたばかりでわからないけれど、るり子と同じくらい好きになれる新しい恋愛もできればいいな。
るり子、本当に今までありがとうございます。
今日の私があるのは、あなたのおかげです。
心からの感謝を申し上げます。
これからも良き友人として宜しくお願い致します。
将来必ず恩返し致します。
与沢 翼
んーかなり気合が入った文章だ。書くのにかなり時間がかかったと思う。
しかし、その3日後に投稿されたブログ記事がこちら。
ネクシーズ近藤社長、湘南美容外科の相川院長方、先輩たちに会いに1967にきました(^ω^)モー娘の加護あいちゃんがいてご一緒してます~。
さすが秒速で生きる男、与沢翼。切り替えが早い!早すぎる!
見習いたいものである。
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