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ピザーラを経営する株式会社フォー・シーズの会長・浅野秀則氏の人生が波乱万丈すぎる!

netgeek 2014年2月24日
 

ピザーラといえば日本一の宅配ピザチェーンである。ピザーラは株式会社フォー・シーズが経営しており、売上げ、そして店舗数でも宅配ピザ市場では国内No.1の座を獲得している。その株式会社フォー・シーズの会長を勤めているのが浅野秀則氏だが、彼は1987年にピザーラ1号店をたちあげた人物である。ピザーラの経営が非常にうまくいっていることから浅野氏の人生も順風満帆だと思ってしまうかもしれないが、実は浅野氏の人生は非常に波乱万丈なものであった。

会社を立ち上げるまで

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浅野氏が生まれたのは1953年。彼は紙器メーカーの三代目として、裕福な家庭で生まれ育っていた。しかし、ある日浅野氏の父親が倒れてから彼の生活は一変した。親族に社長の座を奪われ裕福な暮らしから一転、非常に困窮した生活を送ることになってしまった。その後、浅野氏は慶應義塾大学に入学。卒業後は大日産業に入社するも三ヶ月で退職してしまう。

1978年、彼が25歳のときにクラブハウスを経営するも立ち上げてわずか10日後に火事のせいで浅野氏自身も大怪我を負ってしまい、1年半手術のため療養を続ける。そんな浅野氏を不憫に思った母親と3000万円を共同出資し、ウーロン茶の輸入業を始めたもののこれも失敗。さらに、母親が末期の乳がんであることが発覚する。

その後、ラーメン屋や健康食品販売などさまざまな業種を転々とし、1985年にビデオ店「フォーシーズ」を開店した。しかし、その時点で浅野氏には莫大な借金があったという。なんとかして浅野家の再興を果たしたいと考えていた浅野氏は、ある日映画「E.T.」を見る。
そして「E.T.」の中に出てきたドミノピザを見て、ひらめいた。

「これだ!」

宅配ピザを日本に導入すれば間違いなく売れる、そう考えた浅野氏は1987年の4月に東京都(目白)にピザーラ1号店をオープンさせた。

会社を立ち上げてから

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彼がピザーラ1号店を立ち上げたのは1987年であったが、そのときすでに日本には他に宅配ピザチェーンがいくつか出店していた。例えばドミノ・ピザは1985年に日本初の宅配ピザ店としてすでに東京に店を構えていた。つまり浅野氏は他の宅配ピザチェーンと比べると少し遅れてのスタートだったことになる。しかし、いまやピザーラは日本一の宅配ピザチェーン店として君臨している。どうしてそんなことができたのだろうか。

その理由はおそらく彼が創業以来ピザーラで発売するピザをいかに美味しくするかということを徹底して追及してきたことにあるだろう。
例えば現在ピザーラで使われているトマトやマッシュルームは全て国内産であり非常に品質にこだわっている。また、ピザ生地にも“生きたイースト菌”を使用している。これは通常の宅配ピザチェーンでは考えられないことなのだそうだ。

さらに、88年にマヨネーズを使ったピザを商品化したことから日本人の舌にあうメニューを開発することを決定し、鳥の照り焼きや葱などを使ったピザを開発していく。今はこうしたメニューは非常に一般的だが、当時は画期的なものでありピザーラが初めて世に送り出したものであった。
そうした浅野氏のたゆまない努力により今のピザーラの磐石な地位が確保されたのである。さらに、現在も改善進化を続けているピザーラが業界1位になるのも不思議ではないだろう。

また、株式会社フォー・シーズはピザーラのほかにミシュランで三ツ星を獲得したレストランを経営するなどなんと42の業態、944店舗を運営しており、現状に満足せず今なお進化を続けている。

浅野氏は成功と失敗についてこう語っている。

「チャレンジをした人は必ず失敗しているわけですから、逆に言えば、失敗した人はチャレンジした勇気のある人。だから、失敗を怖れずに、やり続けることで す。「あのときああだったよな」って笑えるようになるまで頑張ること。粘り、しつこさ、根性。必要なのはこれだけだと僕は思うんです。」

どんなに大変なことがあっても、何かにチャレンジし、失敗しても、そこから何かを学びまた次に生かすことができさえすればいつか成功する日が訪れるかもしれないということを浅野氏は教えてくれているように思う。

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