基礎研究に対し「それ何の役に立つの?」と聞くのが愚問な理由
netgeek 2018年6月10日
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誰かが偉大な発見をすると人はすぐにこれからの社会がどう良くなるのかを知りたがる。それはある意味、合理的な思考なのだが、社会はそう単純でないということを指摘しておきたい。
役に立つ研究は土台があってこそ成り立つ。
出典:https://twitter.com/Perfect_Insider/status/785479316025073664
左は一般の人がイメージする研究成果の出方。応用に向かって一直線に成果が積み上がっている。だが実際には様々な分野の成果が相互作用を生みながら新たな成果が積み上がっていき、最終的にどこかの実用レベルの成果にたどり着く。
基礎研究はまさに土台の部分なので研究者本人ですら、今後どのように応用されるのか予測がつかない。だからこそ基礎研究に対して「それはどのように役に立つのか?」と聞くのは愚問なのだ。
また、こちらの画像も参照されたい。実は世で有名になっている実用的な研究成果はごく一部で、水面下には多数の目立たない研究成果があるという図示だ。
例えばみんなが使っているスマホでいえば液晶やボタン、スピーカー、タッチパネルなど様々な技術が集結しているが、いずれも最初は基礎研究から始まったものだったはずだ。過去の延長線上に今があり、今の延長線上に未来がある。現時点でのみ役に立たないと判断して予算を削ったり、研究を切り上げるのは正しくない。
要するに足の裏の分の面積しか地面がなければ歩けないということだ。2016年にノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典栄誉教授(東京工業大学)は「役に立つかどうか」というポイントについて次のように語った。
そもそも偉大な発見をする人は何かに役立てたいという目的志向があるわけではなく、純粋に個人的興味で研究に情熱を燃やしている人が多い。一見無駄に見えることでも、新たな発見は歓迎するべきだろう。