【炎上】立教大学の西谷修教授「防衛産業を抱える三菱のものは鉛筆一本買わないことが大事」→三菱鉛筆は三菱グループではないのに風評被害だと批判殺到
netgeek 2015年9月18日
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事の発端はジャーナリストの岩上安身氏が西谷修教授の発言をツイートしたことだ。教授の意見に賛同し「徹底した不買活動が肝心」と締めくくっている。
しかし、三菱鉛筆が三菱グループとは無関係なのは有名な話。周囲からは即座に「ネタで言ってるのか?」「え、信じられない」「教授もジャーナリストもその知識のなさは危険」と批判の声が殺到した。
▼岩上安身氏はウェブメディア「インディペンデント・ウェブ・ジャーナル」の代表。
▼こちらは国会前でSEALDsとともにデモ活動に参加する西谷修教授。「私はみんなの前に立って話すのではなく、みなさんの仲間になって一緒に運動したかったんです」。
なお、三菱鉛筆がどうして三菱グループと同じ名前・シンボルマークを使っているのか、その理由はこちらの解説を参照されたい。
話は、明治36年(1903年)までさかのぼります。東京に「眞崎鉛筆製造所」という筆記具を専門に製造する会社がありました。創業者は眞崎仁六と言います。(中略)
ある日、眞崎氏のもとにはさみ鉛筆を納入していた逓信省(現在の総務省・郵政事業庁ですね)から「はさみ鉛筆は芯が引っ込むことがあるので、削り鉛筆に代えて欲しい」とい連絡がありました。かねてから削り鉛筆に進出することを計画していた眞崎氏は早速研究にとりかかり、完成した見本を持って逓信省を訪れました。これは評判が良くて、すぐに2万本の注文がきました。生まれて初めての一括大量注文であったとのことです。(中略)
このことを記念して眞崎家の家紋である「ミツウロコ」をアレンジした商標を考案し、鉛筆に刻印しようと考えました。眞崎氏はスリーダイヤのマークを商標と決め、1月9日に商標出願し、2月27日に登録されました。 (中略)この商標登録は、三菱財閥の三菱商事グループが各社の一番手として三菱マークを登録する時点よりも実に10年も先立っていたのです。
そもそも三菱グループと一切かかわらないで生活していくのはかなり難しいのに大学教授とジャーナリストが何を寝ぼけたことを言っているのか。もし三菱鉛筆にも不買運動が及べば風評被害も甚だしいのでこの記事は広く拡散したい。
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